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映画「ハンナ・アーレント」を観て思うこと

映画「ハンナ・アーレント」を観た

今更ながら、ハンナ・アーレントという人を知った。
最近、戦争や革命ものの映画ばかりを観ている。その中で、アーレントの存在を知った。

今更ながら、そういった情報にアンテナが向かってしまうのは、今の時代の閉塞感を強く感じるからだ。

岸田首相やグローバリズム対して、何もできない自分に無力感を感じる日々。

世の中が変だと感じてきたのは、私だけではない。大昔から常にそれを感じてきている人は沢山いた。

大和政権、ピラミッド、「所有」とそれに伴う「支配」。それが当たり前の世の中の構造に違和感を感じてきた。

悪の凡庸性(ぼんよう)についてアーレントは主張し、映画の中で、ユダヤ人から糾弾されていた。

「凡庸」というのは、面白い考え方だと思った。「悪」に限らず、そこは「常識」「ドグマ」も代替えできあるのでは?

心で感じている違和感を無視して、人は極悪を実行できる、というのがアーレントの指摘だが、自分の日常の平和が保たれればそれでいい。とか、とりあえず自分が幸せだから、淡々と目の前の仕事をこなしたり、課題に挑戦したりする。私はそこに常に違和感を感じていた。

宗教の教義もそう。

自分が納得できる方に進むこともできるし、あいまいにしてそれなりに幸せに生きることもできるかもしれない。

自分が納得できるように選択しない限り自分は納得しないでしょ、と思う。

映画「生きてこそ」。カルバニズムも一緒。

皆が自分勝手にやると社会が無秩序になる、という意見は必ず出てくる。

それも本当か?と疑問を感じる。

結局、やってみないとわからない。