崇神天皇(すじん てんのう)とは、第10第天皇(大王)のことです。
時代区分として古墳時代にあたります。
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父親は、第9代 開化天皇(かいかてんのう)。母親は、伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。皇后は御間城姫(みまきひめ)で、こちらの皇后の父親は大彦命(おおひこのみこと)という方です。
崇神天皇の別称は、御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこ いにえの すめらみこと)です。
治世は3世紀後半から4世紀前半と推定されています。
即位3年、三輪山西麓の瑞籬宮(みずかきのみや)に都を移しました。
大物主神の子とも子孫とも言われる大田田根子(おおたたねこ)を探し出して、大物主神を祭る三輪山の神主と三輪山を御神体としました。これが大神神社(おおみわじんじゃ)の始まりとされています。
列島の各地に四道将軍(しどうしょうぐん)を派遣して、体制の安定を図りました。
大彦命(おおひこ)を北陸道に派遣、
武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海道に派遣、
吉備津彦(きびつひこ)を西道に派遣、
丹波道主命(たんばの みちぬしの みこと)を丹波(山陰道)に将軍として遣わしました。従わない勢力は討伐の対象となりました。